中帰連の証言が怪しい理由。

撫順戦犯管理所の「生活」

 「『学習』『認罪』『自己批判』、とめどもないこの運動、朝起きると寝るまで、一ときたりとも頭の休まる時がない。」と星野幸作軍曹(六三師団独歩八七大隊)は当時を回想して次のように記す。(要旨)


 「一体、国に帰れるのか、それとも殺されるのかと不安な空気が部屋中に充満する。そのうち、手水水の原液を飲んで自殺する者、便所で自殺する者も出はじめる。


 このため、屋外の便所のドアは取り外され、便器の口を木で狭めたりして自殺者の出ないよう処置がこうじられた。こうした中で多くが抹消神経症にかかり、重傷者は小便の出るのもわからない始末であった。また、記憶にも錯覚が起こってくる。『俗にいう監獄病だよ』と誰かがいう」


 こうして各自が書いた「罪行」は検察側の資料として残ることになる。


 5月になると、個人の認罪の段階からグループの認罪へと進んだ。計画通りの進行であった。グループ別の認罪運動は同じ部隊、同じ職場にいた十数名が一組となって行われ、「まだ隠している」などと仲間を吊るし上げる壮絶な場面も現出したのである。


 さらにグループの認罪した罪行を佐官級、将官級に突きつけ、日本軍の組織的犯罪へと格上げされていく。


 グループ別の認罪の模様を富永正三中帰連会長は次のように書いている。富永会長は三九師団二三二連隊の歩兵第十隊長(中尉)であった。



 一九五四年中ごろから進歩分子による自分の犯した犯罪行為の告白───これを坦白といった───が始まった。それは死刑を覚悟する、勇気のいる行動であった。やがて中央から覇権された検察官───私たちの犯罪に対する豊富な資料を準備していた───の前で、お互いにその行動を知っている同じ部隊、同じ職場の者、十数名ずつの組を作り、一人ずつ立って坦白を行った。


 仲間から「まだかくしている」、「お前の態度には被害者に対して相すまない、という心からの謝罪の気持ちが現れていない」、「殺される被害者の無念の思いがわかっていない」等々の声が上がった。何回でもやり直し、食事もノドを通らぬ状況もあり、自殺者もでた。内容が検察官の資料と一致し、改悛の情が認められてやっとパスする。


 この深刻な、命がけの自己批判と相互批判の学習が数ヶ月続いた。佐官、将官クラスはさらに長く続いた。憲兵、警察、高級将校の中には海千、山千の頑固者もすくなくなかったが、最後には跪いて謝るようになった。この苦難の学習を経て私たちの顔つきが変わった。鬼畜の状態から人間的両親を取り戻した。つまり、鬼から人間に立ち帰ったということである。


 こうして一九五五年から五六年にかけて、個人差はあれ、ほぼ全員がこれではどのような刑罰を受けても止むを得ない、むしろ当然である、といった心境になった。この時期に自分の過去の行動、犯罪行為を反省をこめて書き綴ったのが『三光』にでている手記である。


(中略)「供述書」「手記」はこのような手順を経て書いたものだから、信頼性に欠けると読むのが自然ではないか。

「洗脳」について

まず第一に、「洗脳」とは中国の造語である。



 「その話は中国で最も新しい事柄、つまり『思想改造』『自己批判討論会』、それに全体としては、共産中国で行われている共産主義教育の方法に関する問題であった。


 中国の質朴な人民たちは、この全教科過程にたいして、いくつかの天啓的な新語を生み出している。人民たちは生来の簡明直截な表現力を用いて、この教科課程を『洗脳(ブレイン・ウォッシング)』または『変脳(ブレイン・チェンジング)』と名づけている。


 この洗脳運動は、中国共産党が中国本土を制圧するや、その全土において重要な活動となってあらわれた。


『洗脳・中共の心理戦争を解剖する』 エドワード・ハンター 法政大学出版53


 学生、教師、教授、将校、新聞記者、教会の執事から犯罪者にいたるまで夥しい数の男女、子供が頭脳を洗われたという。



 洗脳(ブレイン・ウォッシング)という用語自体は、一九五〇年ころの朝鮮戦争のときに協賛側の捕虜になった国連軍将兵が受けた思想改造教育に対して、E・ハンターが最初に用いたものである。


 当時旧ソ連邦の秘密警察のやり方を真似た中国の羅瑞卿が率いる軍諜報部がこの用語を用いていたと言われている。


小田晋 帝塚山学院大学教授


 また、「洗脳」の研究については、「かつて朝鮮戦争中印国境紛争で、北側の捕虜になった米軍やインド軍の将校が記者会見で、自分は帝国主義の手先であったとか、細菌戦を行ったとか発言するのを検分して衝撃をうけた前記ハンターや、ソロモン、リフトンといった精神科医や心理学者によってはじめられた」もので、ある種の社員教育にこの手法が応用されているとも指摘している(『諸君!』93年7月号)。


 付け加えれば、朝鮮戦争においてアメリカ軍がペスト、コレラ菌に感染したノミ、ダニを北朝鮮上空で大量に撒いたと中国、北朝鮮が非難し、アメリカが全面否定していた「細菌兵器使用」問題は、ソ連の秘密文書により中国、北朝鮮の宣伝だったことが判明している。中国側は死刑囚に感染させ、発病を偽装するなどしていた(98年1月8日付け産経新聞)。


 第2に、事実でないことを事実と思いこます(刷りこむ)、あるいは錯覚させるといった技法は間違いなく存在することである。ハンターの書く次の例は興味深い。


 ニューヨーク市の「海外プレスクラブ」で講演したアンガス・ワード前奉天総領事は、領事館員数名とともに中共側に逮捕され、国外に退去を命ぜられ、釈放されたのが数ヶ月前であったという。総領事は拘留中に館員とともに受けた長たらしい訊問について語ったが、そのなかの次の発言が著者、E・ハンターの脳裏に焼き付けられたという。



 ワード総領事は肉体的にはいささかの手出しもされなかったが、もし中国人の訊問者が、「自白」に署名せよと説得する努力をほんのあと二週間も続けてこようものなら、自分はおそらく彼らのお望みどおりに自白していたにちがいない、と述べた。


 彼ばかりでなく、館員たちもおそらく「自発的」に自白したに違いない、と総領事は信じていた。明らかに、こうした新しい訊問技術は、正常な精神をひどく揺り動かすほどのもので、自分たちの自白を自分たちで信じ、公判廷では架空の「罪」を「無条件」に認めたにちがいなかろう。


 中国人訊問者が、ソ連秘密警察の発達させたあの訊問技術にいま少し熟練していたら、あるいはソ連人自らが訊問に当っていたら、自分と館員たちは拘留訊問をうけた期間内に完全に自白してしまったことだろうと、ワード総領事は信じていた。


 潔癖か有罪かは事実とはなんの関係もなかった。「中共は目下、ソ連の教師からこの技術を習得しているので、現在の様子からすれば、単に時間の問題にすぎなかろう」と、総領事はこう批評を下していた。


(中略)また、総領事はモスクワ滞在時代に、ある国の大使館員が強姦罪で逮捕された話をしている。館員は数ヶ月間の拘留の後に有罪を認め、減刑されて国外退去となった。大使館にもどってきた館員に同僚が「いったい、奴らがどんな具合に自白を強要したんだ」と尋ねたところ、自分で有罪を認めたとのことであった。ところが、数週間後に大使館員の一人が事件の記録を調査したところ、くだんの館員が強姦事件の起こった付近に滞在していた事実がなかった。


 それから数ヵ月後、国外退去させられた館員から一通の信書が届いた。そこには「大使館で自分が実際に強姦罪を犯したと誰かに話したような記憶がかすかにするが、自分はそのような罪を犯していない。たしか現在の記憶では、事件発生当時、自分は別の町に滞在していた。今でもなお、自分のセ氏真にはその時期と公判の出来事について大きなギャップがあるので、問題の時期の詳細は思い出すことができないが、自分が無実の罪であることは確かである」と述べていた。「この男(館員)は催眠状態に陥っていたのである」とハンターは記している。


 この本に書かれた資料は、「1950年と1951年の間に集められたもの」というから、日本人が戦犯管理所に抑留されていた時期と重なる。

『検証 旧日本軍の「悪行」』 田辺敏雄 自由社